女優の「宮澤エマ」さんとの2年以上にも及ぶ真剣交際を週刊誌にスクープされた俳優の「森崎ウィン」さん。2人の交際も結婚に発展するのか気になるところですが・・・。
ここでは、イケメン森崎さんがどういう人物なのかに注目したいと思います。
一見顔は日本人ぽいですが、名前からしてハーフ?と思う方もいますよね。彼は生粋のミャンマー人です!どういう経緯で日本に来ることになったのか、ミャンマーと日本をまたにかけての森崎さんのプロフィール経歴、生い立ちや国籍、父親母親の仕事をまとめています!
森崎ウィンのプロフィール
参照元:win_morisaki_official Instagram
本名:ウィン
出身地:ミャンマー・ヤンゴン
育ち:日本・東京
血液型:O型
誕生日:1990年8月20日
年齢:32歳(2022年時点)
身長:174cm
兄弟:弟
語学:ミャンマー語 / 英語 / 日本語
特技:殺陣 / ビリヤード
趣味:キャンプ
職業:俳優 / 歌手
所属:スターダストプロモーション
ちなみに「ウィン」はミャンマー語で「明るい」の意味で祖母が命名。また「森崎」という名は、仕事を得るのに苗字がある方がいいと事務所が名付けています。
森崎ウィンの経歴
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・ミャンマーで生まれ育ち、小学校4年生の時に渡日、その後中学2年生の時に恵比寿でスカウトされ芸能界入り
・2008年、男性ダンス&ボーカルユニット「PrizmaX」に加入。イベントやライブ出演などで活動し、同時期に俳優としてもデビュー
・2012年、尾崎豊の追悼映画『シェリー』で初主演を務める(公開は2014年)
・2013年、PrizmaXとしてCDデビュー
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・2015年、初のラジオパーソナリティーを務める
・2016年、スティーヴン・スピルバーグ監督の新作『レディ・プレイヤー1』で主要キャストに抜擢され、ハリウッドデビューを果たす(公開は2018年)
・2018年、ミャンマー観光大使に任命される、現地でもドラマの主演やCMに数多く出演し圧倒的な知名度を誇る
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・2020年、所属グループPRIZMAX(旧PrizmaX)が解散し、“MORISAKI WIN”としてメジャーデビュー
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・2020年、映画『蜜蜂と遠雷』で第43回日本アカデミー賞新人俳優賞
・2020年、ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』Season2で主演
・主演連続ドラマ『本気のしるし』では釜山国際映画祭2021のASIA CONTENTS AWARDSにて「Best Newcomer-Actor賞」受賞
・2021年、ミュージカル『ジェイミー』で主演
・2022年、ブロードウェイミュージカルの名作『ピピン』日本公演の単独主演
・2023年、人気コミック『SPY×FAMILIY』が初ミュージカル化でW主演
森崎ウィンの国籍は?
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森崎さんの父親と母親はミャンマー人で、森崎さんもミャンマーで生まれ育っていますので、生粋のミャンマー人です!
小学生の時に日本に来て以来、家族共々日本で暮らしていますが、2022年現在国籍はミャンマーで、日本国籍は取得していないようです。
森崎ウィンの生い立ち
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10歳まで、ミャンマーのヤンゴンで母方の祖母と2人暮らしをしていた森崎さん。両親は出稼ぎのため日本など海外で働いていて、母親は森崎さんを出産するためにミャンマーへ一時帰国。その後すぐ日本に戻りました。
両親がミャンマーに戻ってくるのは、年に1回あるかないか。普段は電話で話して、たまに日本からおもちゃを送ってくれる存在だったと言います。
両親の仕送りにより、ミャンマーでは比較的豊かな暮らしが送れており、ヤンゴンの英語学校に行っていたのだとか。
また森崎さん自慢の祖母は、自宅で英語教室を開いていて、社交的で大人の生徒さんに慕われていた人気者。マドンナなどの歌を歌いながら楽しく英語を教えていたようです。
森崎ウィンの両親の日本での仕事とは?
森崎さんと祖母↓
参照元:win_morisaki_official Instagram
森崎さんの父親は各国を巡る船の整備士で、母親は東京で事務職に就いていたそうです。また母方の祖父は、奨学生として、日本に暮らしたことがあり、祖母も米国や日本で暮らしたことがあります。
ちなみに上の写真は、2004年森崎さんが14歳(中学2年生)の夏休みにミャンマーへ一時帰国し、仏教寺院にて9日間の出家修行に参加した時のものです。
森崎ウィンがミャンマーから日本に来た理由とは?
参照元:win_morisaki_official Instagram
森崎さんが祖母と暮らしたミャンマーを離れ、日本という異国へ移住することになった理由は、ミャンマーの治安や政情不安から逃れるためです。
もちろん当時10歳の子供だった森崎さんの決断ではなく、母親からの「日本で一緒に暮らそう」と言う提案でした。
森崎さんが生まれる2年前、ミャンマーでは民主化を求める大規模なデモがあり、混乱期が続いていました。母親は森崎さんを祖母に預け、すぐに祖父と暮らした東京へ戻っていきました。
いつかは森崎さんを日本へ呼び寄せたいと準備をしていたのでしょう。
その後、母親は第2子(弟)を妊娠し、再びミャンマーへ戻り出産。弟の誕生を機に日本に移住することになりました。森崎さんは突然、東京の公立小学校の4年生になったのです・・・。日本語もわからないまま・・・。
その為、いじめにもあったそうですが、1年で日本語をマスターしたと言います。
そんな森崎さんの育ったのは東京・渋谷区。随分都会へと移動しましたね。何やら「ミャンマーから出てきたなら、日本のどまんなかを見よ」という祖父の意見があったみたいです。(笑)
母親は信念が強くて、まっすぐな性格。自分が国外に出て多言語を話せることの大切さを身を持って感じていたのでしょう。森崎さんは、英語を身に付けるように母親に厳しく仕込まれたそうです。
まとめ
森崎ウィンさんは、歌やミュージカル、映画にドラマにと国内外で幅広く活躍するミャンマー人のイケメン俳優さんでした!
最後までお読みいただきありがとうございました!